大館ミントンハウス

ぼくのジャズとの出会いは単純明快で、大館のミントンハウスというジャズ喫茶のオープンによる。奥羽越列藩同盟側へのお仕置きで明治廃藩置県の際に秋田県に「割譲」された盛岡藩(南部藩)の鹿角郡(いまの鹿角市と小坂町。アルザス・ロレーヌが現在はフランス領であるがもともと南ドイツ文化圏であるのと同じく鉱物資源をめぐって国境線が変わる例。)の生まれだったぼくは、30キロほど日本海側の大館市にある秋田県の県立高校に入学し、下宿屋に住んで晴れて一人生活を始めていた。大館は忠犬ハチ公のふるさとで、そのことは知っている人はそれなりに多いかな?その大館で、ニール・ヤング、キャロル・キング、サイモン&ガーファンクル、ビートルズなどを聞き、NHK-FMをFM fanなどの番組雑誌を買ってエアチェック、ヤマハのフォークギターとラジカセで好きな曲をコピーしてレパートリーを増やす、そんな音楽生活。

その県立高校は当時40人くらいのクラスが8クラスあった時代で、10部屋ほどのその下宿屋にはなんと他に3人もクラスメートが同宿していて、入学式終了後帰った下宿屋にクラスメートがいるので????何だ?お前も、あれ?お前も???ここの下宿か?ってな具合でびっくり。そこで仲良くなった一人に河内スタヂオの河内くんがいる。河内スタヂオはスコット・ハミルトンScott Hamiltonと日本の誇る名クラリネット・プレーヤー北村英治さんとの2003年共演作の録音(Vintage。ピアノはエディ・ヒギンズですよ!)を手掛けるほどの世界級になっている。琵琶湖に次ぐ日本で2番目の大きさだった八郎潟を埋め立てて大規模な農地として生まれ変わった大潟村に入植したお父さんに連れられて大館の県立高校にやってきた彼は、ブラジルなどに農業研修に行っていたお兄さんの影響などから音楽についても、ファッションなど世の中のことについても物しり。VANやJUNや化粧品(資生堂はダサいし、カネボウ?とんでもねえと。なんといったってMax Factorだぜ!)など田舎者のぼくらのファッション・リーダー。

高校2年の初夏のある日、河内が「すげえかっこいい喫茶店」を見つけてきた。マイルスの四部作もあるし、すんごいスピーカーで聴けるぞ、行こう。それが新町のMinton House。去年久しぶりにマスターの佐東さんに挨拶に行って、オープンが1974年の5月だったことを確認。ぼくらがほぼ最初の顧客層に入っていたのは間違いないことがわかって、感慨もひとしお。JBL-L45もそのままの姿でうれしかった。

MintonHouse

レッド・ミッチェルがケニー・ドリューとのデュオで来たとき(1982)もミントンが大好きになり壁にも自作レコードにもサインしまくり。サインしたレコードは、トミフラ、ジェリー・ドジオンJerry Dodgion(as/ss)とのドラムレストリオによる1979年の名盤Communication Live at Fat Tuesday’s。ぼく的にはジェリー・ドジオンはハービー・ハンコックのSpeak Like a Child (1968)でのアルトフルートもいいです。

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