セロニアス・モンク生誕99周年

今週月曜日の10月10日がモンクの誕生日。1917年生まれ。来年は100年だから、たくさんの回顧ものが出るだろうから、天の邪鬼のぼくとしては、99年で取り上げることとする。

1917年はなんといってもロシア革命の年。日本は大正6年だよ。欧州では第一次世界大戦のさなか、3月に社会主義右派によるロシア革命がおこり、国会臨時委員会が暫定政権を樹立、ロマノフ朝が滅亡。その後11月にレーニン率いる社会主義左派ボリシェヴィキの武装蜂起によりソビエト政権が樹立され、1991年まで存続したソビエト連邦の土台となった。世界で初めて社会主義国が誕生した意味は大きなものだった。1919年にはコミンテルン(共産主義インターナショナル:第三インター)が結成されて、世界革命の実現を目指す組織とされた。その後、第二次世界大戦で独ソ戦が勃発し、ソ連がイギリスとともに連合国となったことから「世界革命」は意義を失い、コミンテルンは瓦解した。日本共産党もコミンテルン日本支部であった。片山潜、野坂参三という人たちが日本から世界革命を目指していたわけだ。

当時日本は英国と日英同盟を結んでいたため、1914年にはドイツに宣戦布告しており、英国の要請によって、東太平洋やインド洋、さらにはインド洋経由で地中海にも艦隊を派遣し船団護衛に参加。日本は初めて世界規模の戦争の当事国になっていた。青島はドイツ領だったことで、中国に対し青島におけるドイツ権益の日本への譲渡、大連の租借などを中国に認めさせ、その後の中国への帝国主義的進出の足掛かりを作っていったわけだ。

そんな年に、モンクは生まれた。村上春樹のモンクについてこう書いている。「彼の音楽はたとえて言うなら、どこからともなく予告なしに現れ、何かすごいもの、理解しがたいパッケージをテーブルの上にひょいと置いて、一言もなくまたふらりと姿を消してしまう「謎の男」みたいだった」(セロニアス・モンクのいた風景/村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮社、1997年12月))

俳句だね。ミニマルでありかつ宇宙的。

さて、ぼくが最初に買ったモンクのアルバムは、アンダーグラウンド(1968年リリース)。74年ころに買ったんだと思う。高校生。街にミントンハウスというジャズ喫茶がオープンして、マイルスやロリンズやらを聞き始めていたのでモンクもたぶん聞いていたかもしれない。ミントンハウスについては前の記事を参照。

モンクがジャズの仕事を始めたのが1940年代前半のハーレム118丁目と7番街のセシル・ホテルの1階にあったミントンズ・プレイハウスで、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー及びチャーリー・クリスチャンらと共に40年代のビバップ革命を展開した歴史的な場所。テナーサックスのヘンリー・ミントンが開いたクラブで1974年に火災のため閉鎖。その後2006年に「アップタウン・ラウンジ・アット・ミントンズ・プレイハウス」として再オープンしたが現在は再び改装中だということになっている。(Wiki

でもWebを見ると、ミントンズかつセシルとしていろいろライブとショーをやってるね。

今日はMidnight Jazz Breakfast hosted by Carla Hall and Patti LaBelle でなんと金曜日の夜11:30から深夜1:30まで、ABCテレビの料理ショーでも知られたカーラ・ホールCarla Hall となんとR&Bの大御所パティ・ラベルPatti Labelle (マイケル・マクドナルドとのデュエットOn My Ownは大好きだよ。80年代後半によくラジオでかかってたなあ)が共同ホストとして、ニューヨークで最もデカダント(退廃的)なブレックファストを提供します。歴史あるミントンズでライブジャズでダンスしてはどうでしょう・・・ということ。うーむ。なかなか魅力的だね。こんど行ってみたいスポット。退廃的なブレックファストね・・・。

ミントンズとセシルを調べていたら、リチャード・パーソンズという人が2006年にこの2つの施設に投資して現在に至っている。この人はシティ・グループの会長やタイム・ワーナーのCEOも務めた大物。真夜中のミントンズMinton’s At Midnightという歴史あるステージを復活させ、ジャズ・ミュージシャンとヒップホップ・アーチストを結びつける場としたいんだよ、とハリウッド・リポーター誌に語っている。

それで、と。モンクのアンダーグラウンドに戻ろう。ジャズの情報自体はあんまりなかったから、ミントン=モンクという連想があってこのレコードを買ったわけではなく、いわゆるジャケ買い。見てくださいよ。あやしいモンクおじさんが自動小銃を肩に第二次世界大戦のフランスのレジスタンス戦士になっている。ナチスの旗があり、若い女性兵士が後ろに。これはチャーリー・パーカーやモンクのパトロンとなった、ロスチャイルド家の出のニカ男爵夫人の若いころの写真じゃないかということらしい。(ロビン・ケリーの以下伝記による)

メンバーは60年代のカルテットメンバー、すなわちテナーサックスにチャーリー・ラウズCharlie Rouse、ベースはラリー・ゲイルズLarry Galesそしてドラムスはベン・ライリーBen Riley。これはこのメンバーでの最後のスタジオ録音、かつこの後にスタジオ録音した作品は大編成バンドでのMonk’s Blues(1968)とロンドンでブラック・ライオン・レーベルでの録音(1971)のみである。1976年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでの出演を最後に引退し、1982年2月17日に脳出血でこの世を去っている。

モンクは1966年7月に旧友バド・パウエル、1967年には、5月エルモ・ホープ、そして7月にジョン・コルトレーンを失い、自身の健康も悪化する精神的にも肉体的にも大変ななかで、このアルバムはUgly Beauty、Raise Four、Boo Boo’s Birthday、Green Chimneysの4曲の新作を含む力作。Boo Boo’s BirthdayのBoo Booはモンクの長女バーバラのニックネームでこの曲もいいが、Raise Fourがいいですねー。フォー(4度)を上げて、つまり5度をフラット(フラッテド・フィフス)のメロディの12小節ブルース。テナーのチャーリー・ラウズは父親が死んでこの時(1968年のバレンタイン・デー)のセッションは欠席したため、トリオでの演奏になっている。

モンクの伝記の決定版はUCLAで米国史出身のロビン・ケリーによるThe Life and Times of Thelonious Monk(2009)。残念ながら日本語版はまだ出ていない。モンク家に残っている大量の楽譜、写真などの記録に初めてアクセスし、家族に丹念にインタビューするなどして10年かけて仕上げた大作。(モンクに関する資料は息子でドラマーのT.S.モンクがクラーク・テリーなどと1983年に設立した非営利団体のセロニアス・モンク・インスティチュート・オブ・ジャズの所有となっている。評議員会会長はハービー・ハンコック。)ニカ男爵夫人との出会いや他のミュージシャンとのやり取り、よき父であり夫であった側面とともにエキセントリックでクレイジーな側面もあったことなど、事実と証言を丹念に紹介していて、従来のモンク伝とは全くレベルと深さが違う。52丁目にあったダウンビート・クラブでマイルス・デイヴィスがモンクからラウンド・ミッドナイトの演奏の仕方を必死に「こんな感じでいいかい?」「いや、だめだな」「これでどう?」「うん、それなら演奏していいよ」と「習っていた」ことなども微笑ましい。おすすめ。

なおロビンの奥さんはリサ・ゲイ・ハミルトンLisa Gay Hamilton。一昨年Redemption Trail(ブリッタ・ショーグレン監督)で主演女優賞を取っているね。ブラック・パンサーのメンバーで殺された父を持つ娘役だということらしい。見てみようかな。

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