スコット・ラファロ生誕80周年

イベント・マーケティングの一つに「周年もの」がある。お店でも「開店○○周年セール」があるし、逆にだましの手口としては延々と続く「閉店セール」もあります。ニューヨーク5番街の42丁目あたりのエレクトロニクスものや靴屋なんかはEVERYTHING MUST GOなどと派手なPOPをウインドウいっぱいに貼って、客寄せしているよね。日本の法令では景表法違反だけれど、この場合でも閉店の意思はある、と抗弁したら行政側もなかなか手を出せないのかな。

さて、一昨年は戦車や毒ガス兵器など科学の発展によって最先端の人殺しの道具も登場し近代戦争の始めとされる第一次世界大戦の100周年、昨年はジャズの世界でフランク・シナトラとビリー・ホリディの生誕100年だった。今年2016年は大物ではチャーリー・クリスチャンが生誕100年、来年がディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクそしてエラ・フィッツジェラルド。2018年がハンク・ジョーンズ、2019年がアート・ブレイキー、2020年にようやくチャーリー・パーカー登場、という感じ。

それで・・・今日4月3日はスコット・ラファロの生誕80周年。ビル・エバンス(1929~1980)のファースト・トリオ(「ワルツ・フォー・デビー」など超名盤を世に残してくれた1959年10月から1961年7月まで存在したピアノ・トリオ。ドラムスはポール・モチアン(1931~2011))でピアノ・トリオのインタープレイに革命を起こしたベーシストです。

マンハッタンの対岸のニュージャージー州ニューアーク郊外のアーヴィントンIrvington にイタリア移民の子として生まれ、ニューヨーク州北部のジュニーヴァGenevaで育つ。父親もビッグバンドでプレーするプロのバイオリニストだった。イサカ・カレッジで始めはクラリネットとサキソフォンを学ぶが、2年目にはベースに転向しカレッジをやめて、バディ・モロウBuddy Morrow楽団の西海岸ツアーに参加、1956年9月に楽団をやめて1959年3月のベニー・グッドマンのツアー後にニューヨーク・ジャズシーンに戻るまで、約3年ロス・アンジェルスに滞在。このLA時代がベーシスト・スコッティ(というのがスコット・ラファロの愛称)の土台を築いた時代。

一方、ビル・エバンスは1958年11月にマイルス・バンドを辞めて(翌年3月のカインド・オブ・ブルーKind of Blueの録音には参加している)、リー・コニッツ、チェット・ベーカーなどのバンドで演奏しながら自分自身のトリオがどうあるべきか、メンバーには誰がいいのかと模索しているところで、8月は3週間にもわたり、1960年まで4年間続けられた、かの有名なバークリー音楽院よりも講師の面々の豪華さが今でも伝説となっているレノックス・スクール・オブ・ジャズという学校でピアノを教えるなど、自分のペースを整えている段階ともいえる状態だった。そこにスコッティが参戦したというわけだ。こうして、1959年10月のトニー・スコット(cl)のサング・ヒーローズSung Heroesが公式録音ではビル・エバンスのファースト・トリオの3人が初めてそろった録音となる。ちなみにその直前のビル・エバンス・トリオのベースはその後コルトレーン・カルテットで不動の地位を築いたジミー・ギャリソン。

スコッティがニューヨークに戻ってからの才能開花過程でぼくが見逃せないと思っているのは、1959年11月から翌年1960年1月にかけてモンクのグループで演奏し「素晴らしい経験だった」としている点。前者はタウンホール、後者はボストンのストーリーヴィルで演奏だったことがわかっている。録音した人はいなかったのかなあ・・・これから発掘されないかなあ・・・期待したいなあ。この経験が1959年12月28日録音のポートレート・イン・ジャズに結実したと思うから。

1961年7月2日(日曜日)ニューポート・ジャズ・フェスティバルにスタン・ゲッツ・カルテットの一員として出演したのち、実家のあるニューヨーク州ジュニーヴァGenevaに車で向かう途中の7月6日未明に道路から逸れて木に激突して炎上、同乗者ハイスクールからの  友人フランク・オットリーとともに即死。享年25。クリフォード・ブラウンもリッチー・パウエル(バド・パウエルの弟です)とパウエルの奥さんが運転する車で25歳で交通事故死したが、どちらも天才的なジャズ・ミュージシャンだっただけに、なんか心が痛む。

スコッティの偉業は、その後のビル・エバンス・トリオのベーシストの規範となったのみならず、ジャズ・ベーシストなら誰でも影響を受けるほどの革命を短期間で成し遂げたことた。スコッティを尊敬する人たちの中には、もちろんビル・エバンスのラスト・トリオのベーシストのマーク・ジョンソンMarc Johnson(ビル・エバンスの最後のスタジオ録音で有名なWe Will Meet Againのベーシストで、かつ今のイリアーヌ・イリアスの夫君)がいる。この人はデイブ・キャトニー(p)とスコット・ラファロの名曲Jade Visionsを録音していたりします。残念ながらこのデイブ・キャトニーもAIDS死、33歳。スコッティの没後50年の2011年には、フィル・パロンビPhil Palombiがトリビュート・アルバム「RE:Person I Knew – A Tribute to Scott LaFaro」をリリースするなど、まだまだスコッティの足跡は大きい。この人はスコッティが使っていたPrescott社の1825年製ベースを定期的に借りて演奏していることで有名。

ビル・エバンスがリーダーとなってからのファースト・トリオの公式録音はトニー・スコットとのサング・ヒーローズのちょうど2か月後12月28日の録音のポートレート・イン・ジャズ、その後エクスプロレーションズ(1961年2月2日)、そして1961年6月13日からのヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏の最終日25日(日曜日)の昼(日曜は午後のライブがよくあります)と夜のセットを通しで録音していたものをリリースした、「ワルツ・フォー・デビー」と「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」のライブ2枚、計4枚しかこの世に存在していなかったが、1992年に1960年3月から4月にかけてバードランドで演奏した際のラジオ音源をCD化したものが発売されファンは大喜び。なにしろポートレート・イン・ジャズから丸々1年以上この偉大なトリオの録音が残っていないのはおかしいじゃないか、ということだったはず。現在も同じ内容の「ザ・1960・バードランド・セッションズ」として入手可能。この合計5枚のアルバム、時間にして1年半この世に存在してそれまでのピアニストが主役でベースとドラムがリズムをきっちり提供する(でもインタープレイは考慮されることはほとんどなかった)ピアノ・トリオの演奏をガラリと変えてしまった、ベースの革命者がスコッティだった。ピアノとベースは対位法で絡みつくように、ドラムスもその2者につかず離れず、またそれぞれのソロの展開も自由奔放の中に相互の対話が維持される、そんなトリオ。

スコッティが参加したビル・エバンス・ファースト・トリオの作品とりわけ、その頂点となったヴィレッジ・ヴァンガードライブ盤2枚のうち、はじめにリリースされたのは「サンディ」の方で、これはスコッティが急死したことを受け、急きょ彼を偲ぶ作品としてfeaturing Scott LaFaroのタイトルを加え、スコッティの自作曲2曲(Gloria’s StepとJade Visions)を含めスコッティのベースがとりわけフィーチャされた曲を中心に、死後3か月後に発売された。日本ではワルツ・フォー・デビーがジャズ入門用のモンスター・アルバムになっていて、ジャケットも印象派風でカッコいいこともあり、こっちの方がはるかに有名になっている感じだがリリースは「サンディ」の4か月後の1962年2月。

今日は、スコッティの死の4日前のスタン・ゲッツ・カルテットでの最後の演奏を聴いてみたい。独立記念日の休みが2日後の7月4日、ロード・アイランドは夏休みリゾート気分満開だっただろうな。ここでの演奏はマイルス・デイビスのドイツでの1956年の録音とカップリングで1994年に発売されている「Miles Davis / Stan Getz ‎– Tune Up」。YouTubeでも聴けるので聴いてみましょう。音は残念ながら良いとは言えないけれど、25歳のスコッティの溌剌としたプレイが聴ける。ピアノはスティーブ・キューン、ドラムスはロイ・ヘインズ。

スコッティはBaubles, Bangles and BeadsとWildwoodそれぞれでソロがフィーチャされAireginでも快調そのもの。

この2曲目でスタン・ゲッツが次の曲は、と紹介しているのは確かに「Alec Wilder のWhere do you goです」と言っているけれど、演奏されているのはジジ・グライスの名曲Wildwoodなのです。この辺のことを気づいたファンが少し前に話題にしていた。テープを継ぎはぎして作ったライブ音源だからまちがって別のライブのwhere do you goを演奏した際の曲名紹介部分を継いでしまったのではないか、という推定をしている。そうなのかもしれないけど、この世に残ったスコッティの最後の録音の一つだぜ、もうちょっと丁寧にやってくれないかね。

スコッティの人生については2歳下の妹のヘレンHelene LaFaro-Fernandezが2009年に書いた「スコット・ラファロ その生涯と音楽」がていねいに描いており、心を打つ。

上記のスコッティの最後の録音のテープ継ぎはぎミスらしいとされる、Where do you go ならぬWildwoodの本家本元演奏例としては、ジジ・グライスがアレンジ参加のアートファーマー初リーダー作「アート・ファーマー・セプテット」(のちに「ワーク・オブ・アートWORK OF ART」として再発)で聴けます。ちなみにこのアルバムの前半4曲でクインシー・ジョーンズもアレンジ参加している。弱冠20歳。メンバーのほとんどはライオネル・ハンプトンのビッグ・バンドのメンバーだったんだね。クインシーじいさんのほとんど初期のアレンジ作品だね。)このアルバムは初期ハードバップの傑作です。

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