ミヨーの弟子           デーブ・ブルーベック       Dave Brubeck(1920~2012)  

ダリウス・ミヨーの三題話、じゃなくて「三代話」みたいになったけど、ブルーベックがミヨーの弟子だったことは知っていたので、改めて復習と新しい知識を得ようと思う。4歳で母親からクラシック・ピアノを習ったが、父親を手伝いストックトン(日系人の多い土地ですちなみに。ブルーベックは自分のカリフォルニアの家はかなりオリエンタル風だったと言ってる。)の農場に引っ越し、パシフィック・カレッジに入学し獣医師になろうとしたが、教師がお前は音楽に向いているとして、音楽学部に転部。斜視で目が悪く、楽譜が読めなかったため追い出されそうになるものの、対位法や和声では群を抜いているとした教師の応援もあり、音楽教師にはならないと約束させ(学校側は「スキャンダルを恐れて」ということだけど、ひどいもんだ)1942年に卒業。

カレッジを卒業後、陸軍に入隊、1944年にはパットン将軍率いる北フランス戦線に出征。映画にもなった1944年暮れから1945年正月にかけての米軍主体の連合軍対ナチス国防軍のバルジの戦いですね。現地の赤十字でピアノを弾き、目をかけてくれた上官によって最前線での戦闘を免除してもらう。芸は身を助くだね。前線の軍楽隊で演奏しているころにポール・デズモンドと出会う。

1946年に大学に戻り(例のGIビル(復員兵援護法)で軍隊から復員すると大学などの授業料を国が負担してくれて学べる。ジョン・コルトレーンもこの制度を利用してますね。)オークランドにあるミルズ・カレッジMills Collegeでダリウス・ミヨーについて学ぶ。お兄さんのハワードがミヨーのアシスタントだったこともあっただろうね。(おお、今のミルズ・カレッジの音楽学部教授はロスコー・ミッチェルRoscoe Mitchellだよ!アート・アンサンブル・オブ・シカゴの!)ミルズ・カレッジ卒業後、カル・ジェイダーCal Tjaderとのトリオ、ミルズ・カレッジのミヨー弟子仲間のBill Smithなどで結成したオクテットなどで数年演奏、1951年にポール・デズモンドとカルテットを結成。サンフランシスコのブラック・ホークでの演奏、大学キャンパスでのコンサート(オバーリン大学などが有名です。Jazz at Oberlin)で評価を確立、という流れです。タイム誌の表紙を飾るというのは名声の頂点を象徴するわけだけど、1954年にブルーベックはジャズマンでルイ・アームストロング(1949年)に次いで2人目の栄誉に輝いた。その後ブルーベック・デズモンドのチームで世界的に知られるようになり、中でも変拍子のテイク・ファイブ(5/4拍子、ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク(トルコ風のブルーな輪舞曲、ですか)は(9/8拍子)を含むタイムアウトTime Out(1959)はジャズのレコードで初めて百万枚のセールを達成した。

Brubeck_TimeMagazine

ブルーベックの師ミヨーへの感謝と尊敬は、長男にダリウスと名付けたことでも知れるけれども、ミヨーはブルーベックに「ジャズはアメリカの風土に根差した音楽だろう?生涯ジャズを続けなさい」と励まされた。前回のポストで、ミヨーの世界遍歴(といっても基本は欧州・南北アメリカだけど)で自らの音楽を豊かにしたことについて触れたけれど、その土地に根差した心の音楽というのがあるのだ、その音楽に耳を傾けよということを教えた。実際にブルーベックは4枚の「どこそこのジャズによる印象」をレコードにまとめて発表している。選んだ国・地域はU.S.A.、ユーラシア、日本、ニューヨーク。日本には1964年春に来日、その印象をJazz Impressions of Japan(1964)という作品にまとめている。ジャケットがいいね。歌川広重の東海道五拾三次庄野白雨に似た雨の描画だけれどちょっと違うね。誰か知ってたら教えてください。この日本の印象アルバムは2001年にリイシューされるまで長く廃盤になっていた。

オープニング・チューンのトーキョー・トラフィックTokyo Traffic は羽田に到着して警察に先導してもらって都心に向かう道路のクレージーな混雑状況が第一の印象だったとしていて、中国風のドラが使われていたりしてクリシェのところもあるけれど歯切れのいいナンバー。3曲目のフジヤマFujiyamaも印象的なメロディ(レッド・ツェッペリンLed Zeppellin の天国への階段Stairway to Heaven のもとになっているというハナシもあるようだけど。うーん確かにそんな感じもするなあ)。ラストのコト・ソングKoto Songは東京、名古屋の公演後に京都で休んだ際に聴いた「2人のジャパニーズガール」の演奏からインスパイアされたもの。全般にクオリティは高いです。

hiroshige庄野 白雨
東海道五拾三次庄野白雨(歌川広重)

その後大阪公演を終えて羽田に飛んで数時間のトランジットで香港へ。香港からカリフォルニア・ニューヨーク公演のためにアメリカにとんぼ返り、その後1日2回10日間の英国公演。すごいね。

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