セシル・マクロリン・サルヴァント           Cecil McLorin Salvant

このバレンタイン・デー・ウィークエンドにニューヨークのリンカーンセンターで公演していたセシル・マクロリン・サルヴァント。1989年マイアミ生まれ。8歳でマイアミ合唱協会で歌い始め、2007年には法律を学ぶためにフランスのエクサンプロバンスに移るが、同時にミヨー音楽院にも顔を出してジャズも勉強して、あれよあれよという間に2010年、最近はジャズ・ミュージシャンの登竜門として確立した感のあるセロニアス・モンク・コンペティションで優勝。父はハイチ人の医師、母はグアドループ出身のフランス系混血。

3年くらい前のニューヨーク・タイムズ紙にセシルの紹介記事があったのでおさらいしてみた。昨年の最新作「フォー・ワン・トゥ・ラヴ」For One to Love発表後のユニオン・スクウェアのJazz Standardでのギグ(8月末)の批評記事も併せて参考にした。誰が彼女の才能を見つけたのか興味があるし。両親の祖国とマイアミという環境はいわゆるジャズの伝統的COEであるニューヨークとも現在の欧州COEのイタリアでも北欧でもない。クレオール的なもの(混血志向)があるのかなというカン。

ミヨー音楽院のジャズ教師のジャン・フランソワ・ボネル(sax.cl)になんか歌ってみろと言われ、Body and Soul を披露したところ、ボネルが彼女の才能を見抜いた。サラ・ボーンのBrazilian Romanceは母親が家でかけていたため諳んじていたけれども他の先人たち、ビリー・ホリディもエラもベッシー・スミスも知らなかったため、先生はこうした先人たちの音楽を教え込み、4か月後には地元 エクサンプロバンスで最初のギグ。

彼女のマネジメントを行っているエド・アレンデルという人が、顧客は他にウイントン・マーサリスだけだ、というのが弱冠26歳だというセシルのすごさを物語る。マネジメントを行う人=マネジャーなんだけれど、マネジメントの巧拙(プラス運もあるが)でミュージシャンもアーチストもせっかくの才能を発揮できないまま埋もれてしまうことも多いだろうし。

ニューヨーク・タイムズ前述記事は、「音楽的才能がある若いミュージシャンの成長の尺度はものまねをいかに抑えられるかという点にあって、サラ・ボーンのように、ビリー・ホリディのように歌えることに全く問題はないのだが、彼女の他のミュージシャンと違うところは、まったく別の路線からジャズに来ていること。昨年の最高の音楽は英国のジョージ・ベンジャミンの歌劇Written on Skinリトゥン・オン・スキンだという。」(このオペラは2012年エクサンプロバンス音楽祭で初演され全欧で評判となったもの。従来のオペラの境界を拡大した意欲作とされている。)ははーん、やっぱりね。

上記最新作を聞いてみる。あ、サラ・ボーン、お、ビリー・ホリディという瞬間瞬間があるけれども、そのうちそれだけではない力強いもの、たおやかなもの、いろんな表現が一つ一つ軽々と広々とデリバーされているのかな。ニューヨーク・タイムズのshe’s too good not to get better.という評価がまったく妥当なものだということがわかる。ダリウス・ミヨー、フランシス・ジャムを生んだエクサンプロバンスの開放性と、自分のハイチ、グアドループというクレオールの(カリビアンにはコロンブスの新大陸「発見」当時からの歴史的背景から現在でも英、仏、蘭などの海外県・領土があり、住んでいる人たちはこうしたフランス人やオランダ人と現地人(現地人自体がアフリカや他のカリビアン諸国から連れて来られた人たちとの混血)との混血なので初めから、いろいろなものを「混血」していくことに慣れているのか。最新作でもう一つうれしい驚きはバルバラ(1930~1997)の名曲Le Mal de Vivreを歌っていること。

この名曲は、大学で仏文を勉強したフランコフォル・アメリカンのステーシー・ケントも全曲フランス語のアルバムRaconte-Moi(2010)に収録。

セシルはまだ27歳。すでにすごいけれども、これからさらにどんなすごさを身に着けていくのかなこのシンガーは。

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